東洋精器工業 阪神・淡路大震災の経験が役に立った
東日本大震災で、東洋精器工業の仙台営業所が被災した。
阿瀬正治社長によると、仙台営業所は3月11日の大震災で落下等による損害のほか、建物にひびが入るなどのダメージを蒙った。ただ、津波による被害はなく、その当時は「辛うじて体裁を保つことができていた」そうだ。しかし、それから1カ月後、再び大きな揺れが同地を襲う。余震としては最大規模のそれによって、仙台営業所は倒壊同然の状況に陥ってしまった。
幸い、社員とその家族を含めての人的被害はなかった。被災した建物の一部をシートで覆うなどし、言わば急場をしのぐ状態ではあるが、現在は業務を再開している。
震災当日、通信網が途絶えた。兵庫・宝塚の本社から被災地、仙台とコンタクトをとることがままならなかった。社員の安否を最終的に確認することができたのは当日の夜になってからのことだ。このときに被災地から遠く離れた本社でできることとは――。ライフラインがストップした現地のために、食料や水、簡易ガスコンロといった生活用品などの支援物資を直ちに調達することを指示した。
「われわれは1995年1月の阪神・淡路大震災を経験した。それによってこのようなときに最低限、何が必要なのかを把握していたから、その辺りは迅速に対応することができたのではないか」と、阿瀬正浩取締役管理本部長は当時の様子を語る。
本社スタッフが総出で手配したそれらを一旦、横浜支店に集め、そこから新潟営業所へ移送。新潟を経由して現地へと送り届けた。震災直後、トラックの燃料が手に入らず、また道路網も寸断された。陸路で、限られた量のガソリンや軽油を使い物資を確実に運ぶには、中継地点を設けリレーする方法がベストだった。
このような仙台営業所に対しての支援活動と同時に、東洋精器は被災した顧客へのサポートに迅速に取り組んだ。まず、エリアの顧客に対し、タイヤ整備サービス機器の安全確認と始業点検を呼び掛けた。それにともない点検や修理・修復の依頼が多く押し寄せたことから、横浜支店と札幌営業所からスタッフを派遣し増員することで、対応にあたった。
また、全国タイヤ商工協同組合連合会が呼び掛ける義援金の募金にいち早く応えるなど、復旧・復興支援のための各種の活動に参加。もちろん、タイヤメーカーやタイヤ販売会社が進める支援施策に協賛し、「タイヤ整備機器のサプライヤーとして被災地のためにできることとは何か」という視点からの支援活動に協力を惜しまない。「タイヤショップの皆さまがあって、われわれはこの商売をすることができるので、何よりもまずは被災されたショップの皆さまのお役に立ちたい」とし、阿瀬社長は長いレンジで協力を続けたいという姿勢を示す。
「タイヤショップの復興に際してはやはり整備機器が必要であり、今の状況では需要に対し供給が間に合わなくなる恐れがある」(阿瀬社長)との判断から、イタリア・コルギー社などの海外メーカーへすぐに発注をかけた。それに対し、メーカー側も素早いレスポンスがあったという。同時に、被災地では経済的に厳しい状況下にある中で復興を図るということで、当地での販売にあたっては特別価格を適用するという趣旨に対しても、協力をとりつけることができた。
それを受け、阿瀬取締役は「阪神・淡路大震災のときに、被災したわれわれに対していろいろな方々に助けていただいた。それを考えると、今、われわれができることというのを行うことで、お返ししたい」と、当時を振り返りつつ今の心境を語る。
ところで、東洋精器はこの大震災で仙台営業所が壊滅的に被災したが、それを機会として、今度は研修センター機能を備えたものに建て替えたい このような意向を阿瀬社長は示す。同社には現在、宝塚研修センターと横浜支店・研修センターがあり、宝塚は西日本の、横浜は東日本の、研修拠点の役割を担っている。仙台営業所は、横浜支店・研修センターのサテライトで、東北エリアにおける研修拠点として活用していくという構想だ。
現地のがれき撤去は、政府が掲げる8月末という目標の達成にはまだ遠い。阿瀬社長の構想がいつ、どのタイミングで具現化することができるかはわからないが、目標を持ちそれに向けて前進すること、それこそが被災地の復興への足掛かりとなり、被災した人たちの希望にもなるはずだ。