空研 被災者への支援策に積極的に参加
タイヤの整備作業でもっとも頻繁に使用される機械器具の代表がインパクトレンチだ。空研は、インパクトレンチをはじめとするエアツールの設計・製造・販売の販売を行う専業メーカーである。
同社は1967年4月に創業。7年後の1974年、東北地方における顧客サービスの拠点、ビジネスの窓口として仙台営業所を開設した。その仙台営業所が3月11日に発生した東日本大震災で、強い揺れと津波に遭った。
松岡正晴常務取締役によると、強い揺れで所内は落下物が散乱し、酷い有様だったという。丸1カ月、立ち入ることもままならず、その間、業務を休止せざるを得なかった。また、津波で営業車が流されるなどの被害も蒙ったという。従業員には直接的な被害はなかったものの、その親族・血縁者に多くの被害が見られた。
復旧するまで、どれくらいの時間がかかるのだろう――あまりに過ぎる惨状は時に人から想像力を失わせるのではないか。だが、そこから営業所スタッフの復旧への懸命な取り組みが始まる。
「建物が津波で流されることはなく、一部で天井が落ちるなど破損したものの倒壊することもなかったことが幸いした。そのおかげで、ほぼ自力で復旧することができた」(松岡晴常務)そうだ。4月中旬辺りから、ほぼ通常どおりに業務を行えるようになった。「営業所が高台にあったというわけではないのだが」とも。
運が良い、悪いという言葉でくくるのは適切でないかもしれないが、仙台営業所の場合、他の状況と比べると〝運良く〟その被害の程度は軽微だったと言えるかもしれない。同社は震災による直接的な被害額を約1千万円と見積もり、当期決算に特別損失として計上した。
さて、仙台営業所の復旧活動とともに、いの一番に取り組んだのが被災した取引先、得意先に対する支援活動である。義援金やお見舞い金の寄付をはじめ、得意先へは直接訪問し状況の把握に努めた。またタイヤメーカーやタイヤ販売会社がすすめる各種の支援施策に積極的に協力・協賛するのもその一環だ。
営業管理部の松宮良一課長によると、今年、エアー式ナットランナーシリーズに電池駆動によるハンディタイプの新製品を上市した。被災者の中には整備機器が津波で流されたり、汚泥や海水に浸かってしまい使えなくなったケースも多い。同社では、そうしたところにこの新製品を〝交換〟と匹敵するような協賛価格で提供した。
松岡常務は「タイヤメーカーさん、タイヤ整備機器のサプライヤーさんたちとタイアップして、4月頃からそのようなサポート活動を始めており、今もそれを続けている」と説明する。
これらの支援施策には年内いっぱいというふうに期限が決められているものもあるが、状況に応じて、また要請があれば、期限を区切ることなく、柔軟に対応したい――同社ではそのような姿勢を示している。
ところで、空研は関西に本社を置いていることから、阪神・淡路大震災を経験している。そして、今回の東日本大震災だ。ともに、他の被災者と比べればその被害の程度は軽微なほうだった。だが、この2度の大震災被災は重要な経験となった。同社では今後、災害に対する備え、リスクマネジメントに本腰を入れて取り組む方針だ。