近年、雇用の現場で「多様性の尊重」や「ダイバーシティ&インクルージョンの推進」といった言葉を目にする機会が増えている。差別の排除という社会的意義に加えて、様々な業界で人手不足が慢性化する中、優れた人材を惹きつけ確保するという側面から企業の関心が高まっている。タイヤ関連企業でもダイバーシティ(多様性)への取り組みが加速している。ブリヂストンは年齢や性別、国籍、性的指向など異なる属性や価値観を持つ人々が活躍できる職場環境の整備に努めている。さらに、日本社会ではこれまで対応が遅れていた性的マイノリティに関する取り組みも積極化し、社員参加型のイベントや人事制度の改定などを実施。ブリヂストン組織開発部の青木健部長と同部文傳華氏に変革を進める背景と目指す姿を聞いた。
多様性を尊重し、成長へつなげる
ブリヂストンでは、創業者が社是として制定した「最高の品質で社会に貢献」という企業理念の使命を果たすため2018年に「グローバル人権方針」を策定し、基本的人権に関するあらゆる問題への取り組みを推進してきた。
この方針では、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の尊重を宣言。「全ての人が自らの希望に応じその能力を最大限に発揮して働く権利を有する」という人権擁護の観点と、企業価値向上や優秀な人材の確保といったビジネス的な観点から多様性の尊重を進める姿勢を示している。
文傳氏は「ビジョンを達成するには多様な視点が不可欠」とした上で「『会社の一員として活躍する、会社の成長に寄与するような人材を育てていきたい』という考えのもとで取り組みを進めている」と話す。
また、事業の在り方も施策に大きく関わる。ブリヂストンは昨年7月に中長期事業戦略構想を発表し、これまでのモノを作り売ることを中心としたビジネスからソリューション事業を軸に据える方向に舵を切った。
青木氏は、「従来の『タイヤを作って売る』という明確なゴールがある中では、一律的な働き方や、上意下達の組織が有効になっていた」と振り返る。一方で「ゴールが分からない中では多様性、つまり様々な人の異なる意見を尊重し合うことが重要だ」と指摘する。
似通った人々だけの集団は、互いの意思の伝達が容易で効率的に仕事を行うことができる面があるが、同じような考え方や知識を持つ人ばかりになるというデメリットも少なくないだろう。
一方、多様なメンバーで構成された集団は、メンバー間のコミュニケーションの齟齬が生じることでパフォーマンスが低下する懸念もあるが、その反面、豊富なアイデアを生み出していける可能性がある。環境が変化し続ける先行き不透明な社会では多様性を保持することが結果として、より適応的な選択ができるように働くかもしれない。
ビジネス面と人権を擁護するという社会的な面からD&Iを推進してきた同社は、これまでD&Iの取り組みの一環として「性的マイノリティ(少数者)」に対する差別禁止の明文化や人事制度の改定を行ってきた。
性的マイノリティとは、同性愛者や自分の性別に違和感を持つ人を指す「LGBTQ」に該当する人々や、無性愛者などの人々を指す。文傳氏によると、性的マイノリティに該当する人は一般的に100人中8~9人程度。例えば、国内で約1万4500名の従業員が所属するブリヂストンの場合、単純計算すると1000人以上が該当することになる。多様な人材の活用や活躍のためには、これまで十分な配慮が行き届いてこなかった人々の仕事上の困難や悩みを、会社として支援することが重要になる。
性的マイノリティへの取り組みも
現在の日本では、「パートナー関係や婚姻関係を結ぶのは異性同士だけである」「体の性別と自分の認識する性別は同じ」「誰にでも恋愛感情はあり、恋愛は異性とする」といったことが社会における前提となっている。同性パートナーを持つ人々は異性のパートナーを持つ人と同じように制度を利用できず不利益を被ることが少なくない。また、日常的な会話においても不快な思いをするようなシーンはあるだろう。
日本では性的マイノリティに関する法律の整備は進んでおらず、この課題に取り組む企業は統一された基準がない中、手探りで対応を進めているのが実情のようだ。
こうした中、ブリヂストンでは企業における性的マイノリティのダイバーシティ・マネジメントの促進と定着を支援する任意団体「work with Pride」(ワーク・ウィズ・プライド)による評価指標「PRIDE(プライド)指標」を参考に様々な取り組みを実施している。この指標は、日本初の職場における性的マイノリティへの取り組みを評価するためのもので、同社は2018年から2020年まで3年連続で最高評価の「ゴールド」を受賞した。
2019年末から社内で開催しているD&Iに対する意識醸成を目的としたイベント「みんなのD&Iを語ろう」の中で、LGBTをテーマとした回を設けたのもその取り組みのうちの一つだ。D&Iに関するテーマについて参加した社員が語り合うことで、“自分ごと”として捉え、そして考えるきっかけとなることを目指して実施するもの。
さらに、参加後に周囲の人との会話で話題にすることで、更なる意識の醸成や理解の深まりも期待している。「育児」「障がい者」「外国籍を持つ社員」などのテーマを取り上げており、2カ月に1回程度開催していた。LGBTをテーマとした回では、性別や役職など様々な属性を持つ30名程度が参加した。社内風土の改革を目指し、今後も継続していく計画だ。
また、人事制度の改定も実施している。これまで法律上の婚姻関係にある配偶者のみに適用されていた結婚休暇や介護休暇などの制度について、就業規定上の「配偶者」の定義に同性パートナーを含むことを明記することで利用可能となるよう変更した。本来、全ての社員が享受できるはずの制度が、法律婚を認められていない同性パートナーであるがゆえに使えないことは制度上の不平等であり、その解消を目的としている。
最終的には、同性パートナーを持つ社員が法的な婚姻関係にある異性パートナーを持つ社員と同様の制度を全て利用可能にすることを目指す。ただ、国の法律に基づいた制度の運用に関わる部分については改定が難しいものもあり、社内で対応が可能な部分から対象の拡大を図っている。
取材を行った1月時点では、問い合わせはあるものの利用実績はないという。ただ、「使われていないから意味が無い」ではなく、「使いたい人がすぐに使える状態にしておくことに意味がある」と意義を見出しており、従業員のニーズを待たずに改革を進める方針だ。
「制度を変えてほしい」「制度を使いたい」といったニーズを示すには、社内の誰かに「自分が同性パートナーを持つ当事者だ」と伝える必要がある。
日本社会の現状から考えると、性的マイノリティに対する理解が進んでいるとは言い難く、人事担当者が個人情報を他者に伝えることは無いと分かっていても周囲に知られるリスクのある行動をとることは難しい。だからこそ、先に制度を変更し、周知を図ることは全体の意識を変える要因として大きな意味を持つ。
社内で性的マイノリティへの理解が進めば状況も変わっていくかもしれない。同社では、LGBTへの理解を促進するための研修も継続して行っている。全社的にe―ラーニングを推進しているほか、社内風土に与える影響が大きい管理職向けに当事者の講師を招いた研修を実施している。2019年に開始し、これまでに400名程が参加した。研修を受けた人が部下から相談を受けるなど少しずつ変化も起きており、当事者の抱える問題を“支援者”として考える人が増えているようだ。
さらに、新型コロナウイルスの影響が続く中で、今まで対面で実施していた研修でオンラインを活用するようになり、地方にある工場の従業員の参加が可能になるなど参加者は拡大している。
同社の性的マイノリティに関する取り組みは2018年後半に始まったばかり。青木氏は「我々自身も知識が少ない中で『プライド指標』を活用しながら効果的なやり方を模索している」としつつ、「LGBTだけでなく、介護などについても相談しやすい雰囲気を作るため、管理・監督者から優先的に研修を実施している。あわせて、労働組合という横のつながりの強い組織とのコミュニケーションを通じて、組合員全般にも広がるようなアプローチも行う」と、より幅広い層へ働きかけていく姿勢を示す。
これらの取り組みにおいては、当事者のニーズを把握し辛いことが引き続き課題となっていく。ニーズを示すことは自身の性的指向や性自認をオープンにすることにもつながるため、声を上げるかどうかの選択は個人にゆだねられる。
この点が課題とも言えるが、文傳氏は「何が必要なのかを探し、当事者ではなくても一緒に考え、社内の雰囲気をより良くしていくために活動したい」と意欲を示し、「社内のコミュニティを充実し、グループ会社も含めて最終的に社員一人ひとりが自発的に活動を進められるようになる状態を目指す」と意気込む。
働く上で感じる不平等や不安、ストレスはその人が持つ本来のパフォーマンスを妨げる。これを取り除くことで、実力を発揮できる環境を整えることは人材の定着やより質の高い仕事にもつながる。“人が働く場”としてより良くあろうとすることと、高品質な商品やサービスの提供は両立できる――ブリヂストンの取り組みはこれを示す道標となっていくだろう。