横浜ゴムは昨年、デジタル革新に向けてAI(人工知能)を利活用する構想「HAICoLab」(ハイコラボ)を発表した。製品や開発のプロセス、サービスの革新に向けて“人とAIとの協奏”を掲げた点が特徴だ。人とAIが一緒になって働くことで、いかなる効果を期待するのか――エグゼクティブフェローで研究先行開発本部AI研究室研究室長の小石正隆博士に話を聞いた。
優れた製品やサービスで、未来社会に貢献
HAICoLabは、タイヤの構造やゴム材料の設計開発プロセスでAIを利活用する構想だ。これにより開発の効率化や製品の性能向上を目指す。加えて、生産プロセスでも品質の安定化や検査工程の自動化などを目的に同構想を進める。
また、暗黙知や匠の技のようなノウハウもデジタル化し、共有化することを視野に入れている。
これらのデジタル革新のための同構想では、“人とAIとの協奏”を掲げており、その名称のHAICoLabは、ヒューマンのHとAI、さらにコラボレーションに由来したもの。また、人とAIが一緒に働く研究室(ラボ)というイメージも込めた。
AIの利活用に関する構想でありながら、人を中心に据えた点が特徴だ。まず、人が仮説を立ててデータを準備し、それを基にAIが予測/分析/探索を実施。これにより獲得した新たな知見は実際の製品に活かしたり、エンジニアの新たな情報となったりする。
小石氏は「ものづくりでは、そもそも何がやりたいのかを決めるのは人の役割」と話す。
たとえば材料の物性値を上げたい場合には「AIが全ての答えを自動で出してくれる訳ではなく、いくつか候補が必要になる」とし、「仮説に基づき候補を決めることになるため仮説設定は非常に重要で、ここは人が取り組まなければならない」と説明する。
さらに材料開発では、候補となる配合剤の範囲を決めてデータを網羅しておくことは困難なため、AIだけで研究を進めることはできず、人が主導する必要があるそうだ。
また人には、これまでに蓄積した様々な記憶から関連性を見出し、“ひらめく”ことも期待する。小石氏は「ひらめきは突飛な考えを生み、不連続なイノベーションに繋がる」とし、その意義を強調した。
AIから得た新たな知見は、人の他の記憶と繋がることでひらめきをもたらし、新しい仮説へと循環する。「このサイクルで、より良い技術や材料、製品、プロセスを生み出していく」と力を込めた。
データ整備や、バイアスの考慮も
AIの活用ではデータが重要になる。ただ、製造業でもAIが利用できるような整ったデータは多くない。さらに、「我々が目指すのは過去に経験していない新しいものであり、それは過去のデータの中で考えていてもなかなか出てこない」という。そのため、従来の領域を外れたエリアからもシミュレーションによって仮想データを取得していく計画だ。
またここ数年で、過去に横浜ゴムの設計者が取得したデータを社内でまとめたそうだ。これらの取り組みにより、研究開発時に利用するデータ量は、従来の個人が集められた数から2ケタ以上増えているという。
こうした多量のデータを使いこなせるのはAIの働きが大きい。人が把握しきれない量のデータをAIで予測/分析/探索することで、人が理解できる範囲まで絞り込むことが可能になるためだ。
AIによる予測は、機械学習の一つ「ディープラーニング」によって行う。これは“ブラックボックス型の機械学習”とも言われているが、たとえばあるタイヤの形状(インプット)でどのような特性(アウトプット)になるのかが予測できる。
また、インプットとアウトプットの関連性を分析する場面では“ホワイトボックス型の機械学習”を活用する。ブラックボックス型はアウトプットの精度は高いものの、どのインプットが効いているのかが分からないためだ。
さらに、AIを使用することで、設計者が求めるタイヤ特性を実現するにはどのようなパターンや形状が良いのかを探索することもできる。
こうしたAIの技術開発は自社中心で行いながら、関連の情報会社と協力するケースもあるという。
そのほか、大学と共同研究したり、ホワイトボックス型のAIとしてNECのdotData(ドットデータ)を利用したりするなどしており、今後も「協業できるところがあれば協業したい」と述べていた。
その一方、人とAIが協奏するHAICoLabでは、人がもたらす弊害にも着目した。人は、そのときの気分や直前に得た情報などから“バイアス”が生まれ、いつも合理的に判断する訳ではないという問題だ。ほかにも、成功体験に縛られて新たな発想を生み出せなくなったり、過去の失敗から余計な思い込みをしてしまったりもする。
たとえば確証バイアスといって、自分の説を反証する情報は見ずに、自分にとって有利な資料だけを参照するようなケースはエンジニアにも起こり得る。
こうしたバイアスや短絡的な判断は新たな発見の障壁となるほか、偏見が入ったデータをAIで処理すると、その結果も偏見に左右されてしまう課題が生じる。そのため、人の思い込みやバイアスはできるだけ排除することが求められるという。
現時点では、エンジニアらの身近にある例を引き合いに出し、「こうしたバイアスがある」と自覚してもらうことに取り組むほか、バイアスに基づいていないかどうか確認・指摘するアドバイザーをデータ分析の段階に置くなどしているそうだ。
将来的には、行動経済学で「ナッジ」と呼ばれる仕掛けの導入も検討する。これは、強制的ではない仕方で人に好ましい行動を起こさせる仕組みのことで、トイレをきれいに維持する目的で男性用の便器にハエを描くことはその一例にあたる。
さらに、講習会や、セルフチェックを可能にするチェックリストなどのシステムを構築し、人がより良いひらめきや仮説設定を行えるよう整備していく方針だ。
技術や他領域でデジタル革新を
HAICoLabでは、経験の浅いエンジニアも過去の設計者が取得してきた知見などを活用できるため、小石氏は「技術者が研究する範囲を広げながら、同時に、若手もベテランに近づくことが容易になるのではないか」と期待する。
こうしたデジタル革新は、現在はタイヤ設計や材料開発、生産といった技術の領域を中心とするが、将来は他の分野でも推進していく計画だ。小石氏は「データに基づいて意思決定していく社内的なデジタル革新を進め、そこから生まれた製品やサービスがお客様に『今までより良い』と思って頂けるところまで繋げたい」と意欲を示す。
同社では、安心・安全を前提にデジタル革新を進め、内閣府が提唱する新たな未来社会の姿「ソサエティ5.0」への貢献を目指す。現実空間と仮想空間を融合させたシステムにより、社会課題の解決と経済発展を両立する人間中心の新たな社会「ソサエティ5.0」――この実現に向けて、意欲的な挑戦を続ける。