福岡県久留米地区にはブリヂストン創業者・石橋正二郎氏ゆかりの施設が数多く存在する。今回は別荘として使用していた「水明荘」と、石橋家の私邸として建築した「石橋迎賓館」を見学し、その役割と今へ続く創業者の思いを辿った。
水明荘
石橋正二郎氏の趣味が「美術」「建築」「造園」であったことは広く知られている。ここ水明荘(久留米市御井町)の設計も自身で行った。完成は1936年(昭和11年)。敷地面積は飛び地を含め約4万4000平方メートルと東京ドーム約1個分に相当する。
建物は正二郎氏の別荘として建てられた第1水明荘と、長男・幹一郎氏の私邸として建てられた第2水明荘がある。現在の第1水明荘は1955年に建て替えたもので、初代の建物は市に寄贈され、現在も公民館として利用されている。
高良山の小高い丘にあり、周囲は静寂に包まれる。敷地内には450本のモミジをはじめ杉やケヤキなど合計約1800本もの木々が立ち並び、四季折々の風景が広がる。
水明荘を管理する郷原耕亮さんは「創業者は“自然あるがまま”を好み、実生(みしょう)の木をとても大事にした」と話す。鳥や風が運んできた種子が知らぬ間に芽を出し、それが5年後、10年後に大きく成長した姿を見るのが無常の喜びであった。
第1水明荘の前には約900m2の池がある。護岸に使用している石は、石臼をリサイクルしたもので、池の水は山から湧き出る水をサイフォン方式で引水した。この時代に環境を考慮した設計を行っているところからも自然を大事にする正二郎氏の哲学の一端を感じることができる。
続いて第1水明荘の内部に案内される。洗練されたインテリアに目を奪われてしまうが、細部には創業者のこだわりが残る。
例えば、壁に使用した形も色も不揃いのレンガ。郷原さんは、個人的見解だとした上で「一見バラバラなレンガもひとつに集めてみると何とも言えない味わいがある。これは創業者が事業を始めた頃の人材起用法に通じるものがあるのでは」と話す。
当時、正二郎氏の周りには、後に伝記作家となった故・小島直記氏や現・静岡産業大学学長の大坪檀氏ら多彩な人材がいた。「色々な人材を起用し、その人の能力を最大限発揮できるポジションを与え、自身でそのトータライズをした。
もうひとつ興味深いエピソードを聞いた。「水明荘では雨戸を使用しない。朝開けて、夜にまた閉めるのは非効率」というのが理由だ。
正二郎氏が持っていた合理性が企業の発展に繋がり、多様な価値観を活かす経営術が他界した1976年には、世界のタイヤメーカーベスト5に入る原動力のひとつとなったといえるかもしれない。そしてその考えは現代にも受け継がれているに違いない。
石橋迎賓館
久留米工場からほど近い場所にあり、近隣の住宅街の中でひときわ目立つスペイン風の建物が石橋迎賓館(久留米市城南町)。
「ブリッヂストン株式会社」設立と同じく1931年(昭和6年)に設計を開始。清水組(現・清水建設)が建築を行い、1933年に正二郎氏の兄・徳次郎氏の私邸として完成した。
「ISHIBASHI MANSION」と記された重厚な門をくぐり、中に入ると建物と広大な庭園が広がる。敷地面積は9100平方メートル>、建物面積は1000平方メートル。鉄筋コンクリート造りで地下1階から地上3階まで。周囲に高層建築物がなかった頃は、屋上から筑後川が見えたという。厨房設備も備わっており、年に2回ほど工場の従業員を招いて食事を振る舞うこともあった。
手入れの行き届いた芝生の奥には松、イチョウ、梅、桜などが整然と並ぶ。かつてはプールもあったそうだ。当時の建設費用は10万200円。現在の金額に換算すると10億から20億に相当する。
迎賓館の使用遍歴は目まぐるしい。1941年まで徳次郎氏の私邸として使用され、42年から45年はブリヂストン、日本ゴム(現・アサヒコーポレーション)、旭鉄工所の総合本部として使用した。数千戸の家屋が被害を受けた1945年8月11日の久留米空襲でも奇跡的に焼失を免れた。終戦後の1946年から51年までは米軍に接収され(51年6月に解除)、52年~56年は再び日本ゴムが使用した。その後、1957年以降は「石橋迎賓館」として今に至る。
その間、皇族関係者や海外要人の休息の場としても使用されており、現在は久留米市を訪れる賓客に対する接待の場となっている。またブリヂストンの久留米・鳥栖・佐賀の各工場の従業員が定年退職を迎えた際、工場幹部との会食を行うのが慣例となっており、月に5、6回の頻度で利用されている。
今回紹介した2つの施設はいずれも一般公開をしておらず、いわばブリヂストン関係者のための施設。だが、石橋正二郎氏は地域の発展のため久留米市へ多大な貢献を残している。続きは「ブリヂストン創業の地 久留米市を訪ねて③「久留米とのかかわり」で。
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