神奈川県座間市に店舗を構える有限会社アウトバーンは今年で創立38年目を迎える。創業者の西潟幸雄社長は「昨今は小売店が非常に難しい時代になった」と話す。同社はこうした中でいち早くカーディーラー向けのタイヤ卸売を手掛け、その高い先見性と独自の接客方法で着実にマーケットを広げてきた。これまでの道のりと将来に向けた取り組みを聞いた。
先見性と独自の接客で市場を拡大
西潟社長がタイヤ業界に携わる最初のきっかけとなったのは知人の紹介で入社した石油会社だったという。関連会社で日用品やバッテリー、オイルフィルターなどのカー用品も販売していた。
そこでの実績を積み重ねて、つきみ野に新規出店するカー用品店の店長に抜擢される。開店当初はタイヤを取り扱っていなかったが、顧客からの勧めでスイッチャーとバランサーを購入し、徐々にサービスを導入していく。その後、7年の店長勤務を経て独立し、現在の場所にアウトバーンを創業した。
当時、店舗からほど近い場所に幅およそ200m奥行き3kmにも及ぶ日産自動車の座間工場があった。
1980年代当時は「車が命という人がどこにでもいた時代」で、近隣住民だけでなく遠方から来店する顧客もいた。また、生産が最盛期を迎えていた工場は寮も併設。そこに住む多くのドライバーが同社を頻繁に訪れるようになる。
内装から外装まで高い技術が求められるカスタマイズも引き受け、作業依頼は増加していった。その結果、同社は神奈川県内で首位を競うまでに成長したが、最初の10年程はカー用品がメインで「タイヤは添え物位だった」という。
大きな転機となったのは、今から20年ほど前に始めたカーディーラーへの卸売り販売だ。世の中がカーディーラーでのタイヤ販売に現在ほど熱心ではなかった点に着目。西潟社長自らが飛び込みで営業し、販路を切り拓いていった。
実際に店頭で点検を行ってみると、多くのタイヤが擦り減っており、確かな需要があった。特に土日は入庫数も多く、タイヤまで手が回らないカーディーラーに代わって同社のスタッフが店頭に立ち、タイヤ点検も含めて接客対応をするようになった。
13年前からは息子の康能さんも加わり、勢いは加速していく。康能さんは、自社ブランドのホイールやアフターパーツを卸売りする会社に2年半勤めた後、その知識と技術を同社へ持ち帰った。即戦力としてカーディーラーに立ち始めると実力を発揮し、土日だけで80台分もの売上げを記録したこともあるという。
現在も息子さんを含む5人のセールススタッフが各々カーディーラーに常駐し、持ち込んだタイヤを販売している。点検や説明には、西潟社長が「㈲アウトバーンの特許」と自負するマニュアル化できない独自のセールステクニックを使う。
最近ではスマートフォンを活用して、擦り減り方や傷から考えられる危険性などを分かりやすく提示しながら商談に入っていく。
ただ、「購入を決めて頂くのはお客様なので、その点に気を付けながら話を進める。それによりトラブルを未然に防ぐようにしている」と西潟社長は話す。
慎重を期す理由は過去に受けた顧客からのクレームにある。取り付け作業を終えた後に、購入に満足できなかったとして交換前のタイヤに戻すよう要請されたのだ。それ以来、最終決定は必ず顧客に委ねるように商談方法を徹底させている。
卸売りの営業が軌道に乗る一方で、小売りは大型カー用品店の台頭もあり、取引の構成比は創業時から大きく変化した。「以前は100%小売でお客様も近隣のドライバーが多かったが、現在は卸売りが大きな割合を占めるようになった」という。
さらに近年では、インターネットで商品を購入し指定された取り付け専門業者に持ち込むなど新たな購買スタイルも出現しており、この先も消費者の動きは変化していくかもしれない。
こうした中、同社では現在のところ個別に対応しているが、「ゆくゆくはそうしたサービスを提供する時代がくる」とみている。加えて、週末と平日の来客数の差をいかにして解消するか、契約する通販店の店舗数や作業の優先順位など、来る時代のために対応策を模索中だ。
社員数も現在は8名まで増員した。経営者として「社員を何人も雇うようになってから社員の後ろにいる家族の存在を常に意識している。社員の数が増えるほどその家族も増えていく。そういうことを忘れてはいけない」と語る。
これまで成長を続けてきた同社にとって、これからの大きな課題は次世代への事業継承だ。キーとなるのは西潟社長のようなチームの中心、野球でいうところの“エースで4番”の存在かもしれない。
今も昔から通う馴染みの顧客が時折来店するが、店での居心地の良さを求めて訪れるドライバーも少なくない。このことからも長きにわたって維持してきた求心力の高さが伺える。
長年培ってきた顧客との関係性をより強くしつつも、あらゆるフィールドでの活躍が“次期エース”には期待される。バトンが渡されるその日に向けて、西潟社長による技術継承や人材育成など積極的な取り組みは続く。