初めて工場を大幅リニューアルし前へ さなだタイヤ販売

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カテゴリー: ディーラー, レポート

 神奈川県厚木市にある、さなだタイヤ販売。1979年の創業以来、トラック用タイヤをはじめ商用車をメインに事業を展開してきた同社が昨年11月、社屋と工場を全面的にリニューアルした。真田大輔社長は「自分が建てたのではなく、従業員とお客様が建ててくれたもの」と特別な思いを口にする。その上で「これから会社が1日でも長く継続できるようにすることが大切」と話す。真田社長には、ここに至るまで多くの苦難を乗り越えてきたからこそ見えている景色もある。同社のこれまでと将来への展望は――。

初めて工場を大幅リニューアルし、前へ

真田社長
真田社長

 神奈川県のほぼ中央に位置する厚木市。さなだタイヤ販売は圏央道・厚木ICと相模原愛川ICのほぼ中間、大型車が絶えず通行する国道129号沿いに店舗を構える。創業からこの地でトラック・バス用タイヤをはじめ、大型の建設機械から小型トラック、乗用車用タイヤまで幅広いニーズに対応してきた。

 作業ピットは大型車3台、小型トラック・乗用車1台が入庫できるスペースがあり、顧客は事務所内から作業を見学できるような配置になっている。ここが昨年11月に竣工した、さなだタイヤ販売の約45年の歴史の中で初の大型リニューアルとなった本社工場だ。

 真田社長が今回の建て替えを決断したのは3年ほど前だという。「当時、従業員の皆は本当に進めるとは思っていなかったのではないか」と笑う。その上で次のように話す。「新工場は今まで一緒に働いてきてくれた社員、そしてお客様のためのもの。自分が建ててやったなんて絶対に思わないし、もちろん無理をしてまで事業を大きくしていくためのものでもない」

 従業員のため、しかもむやみに拡大するのではなく、身の丈に合った成長を――こうした思いは同社の歴史とも少なからず関係してくるのかもしれない。

 真田社長がこの業界に入ったのは今から20年ほど前。大学卒業後にいくつかの仕事を転々とした後、27歳で父の真田素六氏が設立した同社に入社した。先輩社員に教わりながらタイヤ整備作業を習得しつつ、徐々に経理業務なども担うようになっていったという。

リニューアルした本社工場
リニューアルした本社工場

 いずれは社長として引き継ぐというのが順当な流れだったのかもしれない。だが、そのタイミングは想像よりもはるかに早くに訪れた。約2年後に会社は民事再生法の適用を申請することになる。サイドビジネスへの投資や借金の連帯保証人など、本業とは関係のない部分で負債ができたり、それをカバーするために資金繰りに支障が生じたりしたことが結果的に響いた。「とにかく会社にお金が残らない体質だった。父も毎月のように返済に追われ、気持ちが続かなくなったのではないか」と、当時を振り返る。

 そして、今でも鮮明に思い出されるシーンについても語ってくれた。「民事再生の話が伝わると、取り引きをしていた販売会社から大型トラックが来て一気に在庫がなくなった。それは自分たちが悪いから仕方ない。ただ、その時に来た営業マンの方々の表情――こんなことはしたくないという顔が忘れられない」

 その後、父の素六氏は引退、大輔氏が社長に就任という人事を含めた債権計画が関係者の合意を得て営業は継続されることが決まった。

 そこからは、まさに“走りながら”だ。自分自身がどうなるか分からないまま、先が分からない状態でも毎日やるべきことは膨大だった。

 一方で、顧客や同業者からは「本業が上手くいかなかったわけではない」と励ましの言葉をかけてもらった。実際に顧客の多くは離れずに、従業員も半数が残ってくれた。「心臓が痛くなることもあった」が、支払いは計画通りに進み、10年後の2012年に全てを終えた。

「地域に密着」それは顧客が決めること

 社長に就任して間もなく20年。この間、リーマンショックや東日本大震災など日本経済が大きく落ち込んだ時期もあれば、人手不足など頭の痛い問題もある。様々な経験を得た今、商売への考え方を聞くと「タイヤ販売店は案外しぶといし、タイヤ業界はほかの産業より恵まれているのでは」と答えを示す。

 「モノは必ず動く。クルマが稼働してタイヤが必要になるのは変わらない。逆にどうしてこれをやりたがらないのか、辞めてしまうのか分からない」とししつ、業界への疑問も口にする。

 同社は適正な料金をしっかりと受け取り、プロとして作業への責任を持つことが何よりも基本になっている。「当社には売上目標のようなものが一切ない。本数を増やすことだけを考えて、何も残らなければ意味がないのではないか」――従業員も自らの技術にプライドを持っているからこそ「安い仕事はしたくない」という思いを込めているのがさなだタイヤ販売だ。「それをやらずに今がある。当社の値段では売れないなら下げざるを得ないが、実際にお客様が増えているし、利益も出ている」

事務所内
事務所内

 「地域に密着しなくてもいいし、好かれなくても良い」と、あえて話す。「嫌われなければ良いと思っている。好きか嫌いか、必要とされるかどうかはお客様が決めること」――これが真田社長の考え方だ。「売上、本数ありきではなく、会社が1日でも長く継続できるようにすること、自分がいなくなっても会社が回るようにすることが重要だ」――。いつからこうした思いに至ったか、正確には覚えていない。ただ、気付かされるシーンはあったという。

 ある講演会に参加した時、登壇者から〈社員は社長の代わりにお客様に頭を下げ、日々の仕事をしてくれている〉というメッセージが発せられた。それを聞いた時に、「本来は自分がやらなければいけない仕事を日々、社員が代わりにやってくれているのだと気が付くことができた」

 そうした思いを社員にストレートに伝えるタイプではないのかもしれない。だが、「新工場を建てる時に荷物を移動したり、手配をしたりと社員の皆が考えて率先して動いてくれた」と嬉しそうに話す。

 「昔は世間知らずの生意気な若造」だったが、好むと好まざるとにかかわらず人生観を変化させてきた。本人は淡々とした口調だが、乗り越えてきた苦しさや悔しさは大きかったはずだ。新工場が完成した時には事務所に置ききれないくらいの花が届き、取引先だけではなく、多くの顧客からも祝福を受けたことは想定していなかった。

 仕事に対する姿勢を大勢の人が見ていてくれ、実は地域から信頼され、愛されていることの証だ。


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