モータージャーナリスト、瀬在仁志さんとFCEVに乗りながら
MIRAIが指向する水素社会
普及にはインフラの整備が急務
本シリーズの前項で、16代目クラウンの第1弾として発表されたクラウンクロスオーバーを取りあげた。そこでも触れたが、23年10月に第2弾のクラウンスポーツ、11月に第3弾のクラウンセダンが発売された。クラウンセダンには2.5ℓハイブリッド車(HV)と燃料電池車(Fuel Cell Electric Vehicle=FCEV)の2車種が設定されている。次の世代へとつなぐフラッグシップモデルのラインアップにFCEVを入れたのは「さすが、トヨタ」(瀬在仁志さん)――。ところでその『トヨタのFCEV』をキーワードとすると、まっ先に想起するのはMIRAI(ミライ。以下、記事での表記はMIRAI)ではないだろうか。本紙は瀬在さんとMIRAIに乗りながら、FCEVとその周辺について考えた。
脱炭素社会実現の〝切り札〟が水素
水素についてのおさらいを。
脱炭素社会の実現に向け注目されるのが水素エネルギーだ。水素は炭素を含まないので二酸化炭素を排出しない。電気は電気エネルギーとして貯めておくことがむずかしいと言われる。対して水素エネルギーは貯蔵することができ可搬性もある。
水素は酸素と結合することでエネルギーを生み発電することが可能となる。稼働したあとは水が排出されるだけだ。環境への負荷を大幅に低減する次世代のエネルギー源として期待は大きい。ただその製造過程によっては製造時に二酸化炭素が排出されてしまう。太陽光や風力などの再生可能エネルギーを使い生成し水を電気分解することで製造する『グリーン水素』のみとするのが理想だが、それにはコストの問題が重くのしかかる。また電気分解を行うときに大量の電力を要するため、再生可能エネルギーだけでまかなうことが可能かという課題も指摘される。
化石燃料を燃焼させてつくる『グレー水素』と、製造するときに排出された二酸化炭素を貯留し再利用する『ブルー水素』が当面、水素の製造・供給では主体となるようだ。
資源エネルギー庁による「水素・燃料電池ロードマップの達成に向けた対応状況」(20年6月)の「モビリティ分野での利用」から抜粋すると、(1)燃料電池自動車=原文ママ=は20年までに4万台程度、25年までに20万台程度、30年までに80万台程度の普及を目指す。 (2)燃料電池バスは20年度までに100台、30年までに1200台の導入を目指し、首都圏だけでなく普及地域を全国に拡大させる。 (3)水素ステーションは官民一体で20年度までに160カ所、25年度までに320カ所を整備し20年代後半までに水素ステーション事業の自立化を目指す――。
このロードマップに記された次の2点も重要だ。
(1)燃料電池自動車の車両価格について、25年頃に同車格のHVと同等を目指す。現在(20年6月)は、トヨタMIRAIの車両価格約740万円に対しクラウンHV約500万円。価格差は300万円前後。25年頃にはそれを70万円程度の水準に引き下げることを目指す。 (2)消費者の嗜好の多様性を踏まえ、現時点(20年6月)で国内2社からそれぞれセダン1車種ずつ販売されているものを、25年にSUVやミニバンなどのボリュームゾーン向けの投入を目指す。
それから3年後の23年5月開催の「第32回水素・燃料電池戦略協議会」で示された以下の「水素基本戦略案」によれば現在、このロードマップに沿って進捗していることがうかがい知れる。
「燃料電池自動車(FCV)=原文ママ=の普及と水素ステーション整備の両輪で支援してきたが、今後は乗用車に加え、より多くの水素需要が見込まれFCVの利点が発揮されやすい商用車に対する支援を重点化していく」「30年までにFCVを乗用車換算で80万台程度、水素ステーションは1000基程度の整備目標の確実な実現を目指す」
水素エンジン車と燃料電池車は違う
もう一つ、確認しておくべき点。それは水素エンジン車と燃料電池車(FCEV)は異なるものだということ。水素エンジンは、水素と酸素を燃焼させた際に発生する水蒸気で内燃機関のピストンを稼働させ動力とするもの。ガソリンを燃焼して発生した熱で気体を膨張させ内燃機関のピストンを動かすガソリンエンジンと、基本的な考え方、仕組みとしては同じ。燃料が異なる。従って、水素エンジン車はガソリンエンジン車をベースに改良を加えること(延長線上)で車両を開発することが可能だ。
一方、FCEVは、水素と酸素を燃料電池に取り込み、その化学反応によって生じる電気エネルギーでモーターを回して走るクルマ。基本構造はEVだ。
どちらも水素と酸素の化学反応で動くので、二酸化炭素は排出されず、化学結合によって生じる水を排出するのみ。欧州メーカーは前者の実車開発に力を注いできたという歴史がある。日本メーカーはさまざまに開発アプローチを行うなか、2014年にトヨタが国産初の量産FCEVとして初代MIRAIを発売した。
対して、欧州メーカーは電気自動車(BEV/PHEV)に完全にシフトしていくようで、水素エンジン車の開発は久しく聞こえてこない。先の「ジャパンモビリティショー2023」のBMWブースで「iX5 HYDROGEN(ハイドロジェン)」が出展された。これは水素エンジン車ではなくFCEV。〝BMW初の水素燃料電池自動車〟というのがアイキャッチだ。トヨタとの技術提携関係を活用し、燃料電池の一部技術はMIRAIを共有したという。
FCEVのベンチマーク、MIRAI
さて、そのMIRAI。走り出しで、まずその静かさに驚かされた。EVにまったくひけを取らない。「高級サルーン以上の静粛性を実現していますよね」という、瀬在さんの感想に同意する。MIRAIならではなのか、独特のモーター音があるにはあるが、気にならない。
「車両重量がほぼ2トン。前前軸重と後後軸重でそれぞれ約1トンずつと、前・後で均等に重量配分されたFR車ですから運転がしやすい。車両の下部にバランス良くパッケージングされた低重心設計なので、コーナリング時の安定感が高いですね」と、ハンドルを操る瀬在さん。「実はこのクルマ、ステアリング操作やアクセルワークをしなくても、システム側で追い越しをしてくれるのですよ」という。
それは「Advanced Drive(アドバンスト ドライブ)」という先進の運転支援システムを搭載しているからだ。あらかじめシステムを稼働させナビに目的地を設定しておくと、使用可能なエリアで実際の交通状況に応じてシステムが操作を支援。車間距離の維持をはじめ、車線のキープと変更、追い越しなどをシステムが適切なタイミングで行う。
一定の条件下でハンズオフ走行を実現したが、これはあくまでレベル2の運転支援機能。「限定された条件下で、システムがすべての運転操作を実施する。ただし運転自動化システム作動中であっても、システムからの要請があればドライバーはいつでも運転に戻れる状態であることが必要」という条件付き運転自動化レベル3の前段階だ。
55偏平19インチV速度レンジ装着
試乗したMIRAIにはダンロップ「SP SPORT MAXX(スポーツマックス) 050」235/55R19 101Vが装着されていた。
BEVほどの車両重量ではないかもしれないが、ガソリンエンジン車よりも重いFCEVの荷重を支えなければならない。しかもEVと同様、クルマ自体が静かなので、装着タイヤには優れた静粛性が求められる。また低燃費性能とウェット性能、スポーツ性能の高い次元での両立も要求される。「むずかしい開発だと思いますが、要求にしっかりと応えています」と、瀬在さんの評価は高い。
ところで、16代目となる新型クラウンセダンは、試乗したMIRAIと同じプラットフォームを持つ。〝くつろぎの空間〟を実現するため、クラウンセダンはMIRAIよりもホイールベースを80ミリ延長し後部の居住空間を拡大したという。標準装着のタイヤサイズはMIRAIと同じ235/55R19(オプションで245/45ZR20を用意)。前回レポートしたクロスオーバーとセダンとでは、同じクラウンでも設計思想は異なるのかもしれない。
「脱炭素社会を目指しEVへのシフトが進んでいますが、それが最適解かと問われるとそうとは言えないでしょう」と、瀬在さんは問題提起をする。EVは製造時の二酸化炭素排出量が多い。車両重量が重いなどの理由から走行中の環境負荷も決して少なくない。EVに車載する電池にはレアメタルが必要であり、そこには鉱山資源の採掘時の二酸化炭素排出、資源枯渇の懸念、電池のリサイクル率の低さと廃棄時の環境汚染などの諸問題が付いてまわる。
それを考えると、水素エネルギー車のほうが環境への優位性は高い。ただ、普及に至らないのはインフラである水素ステーションの数が圧倒的に少ないから。今回のMIRAIの試乗に際しても、航続距離を意識しルートを決める必要があった。
前記した「水素基本戦略案」では、FCトラック拡大にあたり『需要見込みがないと生産投資計画が立てられないOEM』『FCV導入台数がわからないとステーション投資計画が立てられない水素ステーション事業者』『FCVと水素ステーションがないと購入計画が立てられない運送・荷主事業者』という〝三すくみ〟状態をどう脱するかが議論された。
また、補足として。新型クラウンセダンの価格(税込。カタログによる)は、2.5ℓHV「Z」730万円、FCEV「Z」830万円。両者の価格差は100万円。
=瀬在仁志(せざい ひとし)さんのプロフィール=
モータージャーナリスト。日本自動車ジャーナリスト(AJAJ)会員で、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員のメンバー。レースドライバーを目指し学生時代からモータースポーツ活動に打ち込む。スーパー耐久ではランサーエボリューションⅧで優勝経験を持つ。国内レースシーンだけでなく、海外での活動も豊富。海外メーカー車のテストドライブ経験は数知れない。レース実戦に裏打ちされたドライビングテクニックと深い知見によるインプレッションに定評がある。