身軽さで激戦区を生き抜く、川越市の山川タイヤ商会

シェア:
カテゴリー: ディーラー, レポート
山川タイヤ商会
山川タイヤ商会(奥)と、同じ敷地にあるヨコハマタイヤ関東販売の川越営業所

 埼玉県川越市、国道16号線沿いに営業所を構える有限会社山川タイヤ商会。首都圏近郊を環状に結ぶ沿線には、カーディーラーや中古車販売店、タイヤ量販店が軒を連ね、現在も続々と新規出店がある。その激戦区で今年創業59年を迎えた同社は、ヨコハマタイヤ関東販売株式会社川越営業所と同じ敷地内にある。店舗と営業所の共生は今では珍しくなったが、そのメリットを活かした営業力が強みだ。

販社と敷地を共有するメリット活かす

 ヨコハマタイヤのプロショップでもある同社の営業所は、大型車両1台分の作業スペースを持つ。乗用車であれば同時に2台が入庫できるが、大型店が多い16号線沿いの店舗としては、小規模な部類に入るという。

 創業社長の娘であり、専務取締役の栗原陽子さんは「うちの最大の特徴は、店舗に在庫を持たなくて良いこと。営業所と隣接しているので、必要な分をその場で納入してもらえる」と立地の利便性を話す。

栗原陽子専務取締役
栗原陽子専務取締役

 取材当日も徒歩で伝票を手渡しに来ており、「うちもあちらの事務所に歩いて在庫確認に行く。建機などの特殊なものや品薄になるものは取り寄せになるが、基本的に在庫で困ったことはない」という。

 ヨコハマタイヤ側も同社のピットを一部共有するなど、文字通りのWin―Winの共生関係になっている。通常は在庫を持たない経営のリスクとされる販売の機会損失や欠品トラブルも、敷地を共有する営業所からその場で納入できることで回避ができる。

 「さらにうちは借りテナントではないので固定費の負担が軽く、技術面はもちろん、コスト面でも強みがある」と、タイヤ販売の激戦区で半世紀以上を生き抜いてきた強さの理由を語る。

 同社はなぜこのような敷地の構造になったのか――。1957年5月19日、同社は現在の営業所から数km離れた狭山市鵜ノ木で創業した。

 「稲荷山公園一帯には昔、大規模な米軍の住居があり、地元ではアメリカハウスと呼ばれていた」――創業の地は稲荷山公園の目の前にあり、米軍の住居が日常に隣接していたことを感じさせる。

 先代社長が創業した当時は、これから個人でもクルマを持とうという時代だった。開業当時の顧客は米軍関係者が多く、また軍用車両のタイヤ需要も大きかった。

 「おかげで開業から大きく業績が伸ばせた」という好条件の立地と、続く高度経済成長で仕事が増え、1967年に現在の営業所にあたる川越店をオープンした。

 「交通量が爆発的に増えた国道16号線沿いに土地を見つけ、高度経済成長期の波に乗って出店を検討している時、立地が良いということで隣接した敷地にヨコハマタイヤの営業所が開所することになった」

タイヤ交換を行う栗原忠男社長
タイヤ交換を行う栗原忠男社長

 当時の詳しい経緯は先代が亡くなったため不明だが、こうしてヨコハマタイヤ関東販売川越営業所とシームレスに敷地を共有している店舗が誕生したという。

 「川越店を中心に2店舗体制が続いていたが、1993年に道路拡張のための買収があり、創業した土地を手放して店舗を統一した」

 そのため、現在は作業者3名に対して2店舗分の機材が置かれている。「PCもTBもほとんどの顧客は卸しが中心」と話す同社は、「かわりに一般客には非常に弱い」という課題を持つ。

 敷地面積が小さいため、一般客向けの展示が難しい。加えてここ数年、さまざまな営業形態が生まれ、近隣には交換専門店も進出している。その中で栗原さんは、周辺への実店舗の進出だけでなく、インターネットを通じた販売の多様化にも危機感を抱く。

 「個人の顧客をどう伸ばすか。敷地の構造上、TBの交換が入るとPCを入庫するスペースがなく、仮に予約を取っても待たせてしまうかもしれない」としながらも、「考えを柔軟に、古くて良いものと新しい良いものを繋ぐのが私の役目」と話す。

 来年創業60周年を迎える同社は、これからもそれぞれの時代の良さを取りながら、新しい時代を乗り切っていく。


[PR]

[PR]

【関連記事】